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セリフ入りの「おふくろさん」を歌う森進一を作詞家の川内氏が許せない、と怒っているばかりか「俺の歌は全部歌わせない」と息まいている。そもそも、セリフ入り「おふくろさん」は30年ほど前から歌っているものだし、セリフの作詞を別の人に依頼したのは恐らく当時の所属プロダクション(ナベプロ)とレコード会社だったはず。恐らく森進一の意志ではないと思う。なぜならば当時売り出し中の新人歌手にそれだけの決定権はなかったはず。当時のナベプロは音楽業界を席巻するほどの権力を持っていた。さすがの川内氏もナベプロには楯突けなかったのではないか。もう一つはレコード会社の存在だ。彼らは当時の契約について釈明する必要がありそうだ。ところが矢面に立たされたのは森進一ただ一人。よく考えてみると川内氏の作詞とはまったく別の作詞家にセリフを作ってもらうよう依頼すること自体がヘンなのだ。しかもこの部分のメロディは猪俣氏の作曲だそうだ。ということは川内氏だけが爪弾きにあっていた、ということなのかもしれない。いずれにしても他人の作詞が冒頭に登場する事は作詞家のプライドが許さないに違いない。 川内氏は一昨年のNHK紅白で歌っているのを見て知った、と言っている。これはおかしい。著作権違反だと判断するなら30年前に訴えていなければならないはず。もうとっくに時効じゃないか。しかも怒りをエスカレートさせて「俺の歌は全部歌わせない」と言っているがこれは明らかに間違っている。作詞家一人の勝手な判断は許されるものではない。当然ながら作曲家の考えも尊重しなければならないことは言うまでもない。「おふくろさん」のケースなら猪俣公章氏がどう判断するかが重要だ。今は亡き猪俣氏なら多分、こう嘆き提案するだろう。 「森進一の歌を愛しているファンの心を一番大切にしなくてはダメだな。森くんが歌うからこそ『おふくろさん』は名曲として息長く愛されている、ということを川内さんは知るべきだと思う。北島三郎や氷川きよしでも感じが出ない。天国に来たら二人で『おふくろさん』を歌おう、と言っていたじゃないか。もちろんセリフ抜きでね(^▽^)」 森進一と川内氏の二人が固く握手して和解する日が来ることを心から願っている人がいる。歌まね・ものまねの天才、コロッケだ。 ところで替え歌(パロディー)とかものまね(歌まね)と著作権はどーなんだろうか。 朝日新聞(3月15日)「文化総合」欄にこの問題が取り上げられている。「替え歌メドレー」で知られる嘉門達夫さんの事務所によると作詞、作曲者、替え歌の歌詞の中に登場する著名人にも事前の許可を得ているそうだ。これは厳密な意味でパロディーではない、と言わざるをえない。許諾を得てしまっては毒がなくなってしまうからだ。毒のない(批判精神のない)パロディーはパロディーではない。それは単なる「パロディーもどき」なのだ。だからと言って嘉門さんの芸を否定するものではない。彼の替え歌はもはや『名人芸』である。 さて、外国ではどうか。フランスには法律でパロディーを明確に規定している。米国でも有名な曲を下品な歌詞でラップ調にしたものがある。裁判で訴えられたが「新たな意味やメッセージを持った作品に仕上げている」との判決が出てパロディーが勝訴している、と著作権に詳しい福井健策弁護士は話す。とくに次の話は傾聴に値するものだ。 「著作権の意に添わないからといってパロディーや替え歌をすべて認めないのは法の判断停止ではないか。オリジナルへの批判的な視点は、文化を豊かにするのだが」 話が前後するるが福井弁護士は「おふくろさん」の改変版については「新しい視点は生まれておらず、付け加えるならもとの作者(川内氏)に頼めばいいのに」と否定的だ。
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